第一章 夕顔の物語(注釈)

  [1-1 源氏、五条の大弐乳母を見舞う]

【六条わたりの御御忍び歩きのころ】

源氏の六条辺りのお忍び通いのころの物語。夏の最も暑い六月ころの物語。

【大弍の乳母】

源氏の乳母の一人。大弍は従四位下相当官。その人の妻。なお源氏にはもう一人の乳母がいる。「末摘花」巻に登場する左衛門の乳母。

【尼になりにける】

諸本すべて格助詞「を」を持たない。尼になった、その人を、というニュアンスの構文。

【御車入るべき門】

賓客の出入りする門。表門。普段は使用されない。家人は通用門を使用。

【惟光】

大弍の乳母の子、すなわち源氏の乳母子。

【見えて覗く】

透き影がこちらを覗いている意。

【いかなる者の集へるなら】

源氏の心。

【御車もいたくやつしたまへり】

の文は、以下「同じことなり」まで、読点によって続く一文である。源氏の気持ちが重ね合わされた表現である。

【前駆も追はせたまはず】

「御車もいたくやつしたまへり」と並列する。

【誰れとか知らむ】

右の二文の並列を受けて、それゆえ、わたしを誰と分かろうか、という構文。

【やうなる】

格助詞「を」ナシ。半蔀のような、それを押し上げてある、その覗き込む程もなく、というニュアンスで語られている構文。

【何処かさして】

『源氏釈』は「世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿と定むる」(古今集雑下 九八七 読人しらず」を指摘する。

【玉の台】

『河海抄』は「何せむに玉の台も八重葎はべらむ中に二人こそ寝め」(古今六帖第六 葎)を指摘する。「玉の台」は歌語。

【遠方人にもの申す】

源氏の独り言。『源氏釈』は「うち渡す遠方人に物申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」(古今集旋頭歌 一〇〇七 読人しらず)を指摘する。その和歌の語句を引用したもの。

【かの白く咲けるをな】

以下「咲きはべりける」まで、御随身の返答。「白く咲ける」は、その『古今集』歌の語句を踏まえて答えたもの。嗜みのある風雅な返答。

【人めきて】

顔」という言葉が付くので人のようだという意と、「人めく」の人並みの身分があるという意を掛けた返答になっている。

【げにいと小家がちに】

『源氏釈』は「筑波根のこのもかのもに蔭はあれど君が御蔭にます蔭はなし」(古今集東歌 一〇九五 常陸歌)を指摘。他に『河海抄』は「山風の吹きのまにまに紅葉ばはこのもかのもに散りぬべらなり」(後撰集秋下 四〇六 読人しらず)を指摘する。「このもかのも」は歌語。

【口惜しの花の契りや一房折りて参れ】

源氏の詞。

【さすがにされたる】

「さすがに」という言葉は源氏と語り手のどちらの目から見た感想ともとれる表現。

【うち招く】

『完訳』は「秋の野の草の袂か花薄ほに出でて招く袖と見ゆらむ」(古今集秋歌上 二四三在原棟梁)や唐代伝奇『任氏伝』を指摘する。

【これに置きて】

以下「なさけなけなめるはなを」まで、女童の詞。

【取らせたれば】

緩やかな順接。与えたところ、門をあけて云々と続く。

【惟光朝臣出で来たるして】

惟光朝臣が出て来た、その彼をしてというニュアンス。「出て来たる惟光の朝臣して」の語順が転換した構文。惟光の登場を強調した表現である。

【鍵を置きまどはして】

以下「立ちおはしまして」まで、惟光の挨拶。表門は普段は使用しないので、鍵がどこにあるか分からなかった、という言い訳。

【惟光が兄の阿闍梨婿の三河守むすめなど】

惟光の兄の阿闍梨、娘婿の三河守、尼君の娘など、大弐乳母の子供たちが集まっている。

【惜しげなき】

以下「待たれはべるべき」まで、尼君の詞。

【日ごろおこたりがたく】

以下「悪ろきわざとなむ聞く」まで、源氏の見舞いの詞。

【位高くなど】

わたしの位が高くなるのなどをの意。「高く」の下に「なりなむ」などの語句が省略されたものか。

【九品の上にも】

九品の上、極楽浄土の上品上生。

【かたほなるをだに】

以下「すずろに涙がちなり」まで、語り手の乳母に対する批評を含んだ表現。『岷江入楚』は「草子の地歟」と注す。

【背きぬる世の】

以下「御覧ぜられたまふ」まで、乳母の子供たちの詞。しかし間接話法的に語り手が引用して語った文章であろう。

【いはけなかりけるほどに】

以下「なくもがな」まで、源氏の詞。源氏は三歳で母桐壷更衣に死別、六歳で祖母に死別。

【思ふべき人びと】

母親や祖母をさす。

【さらぬ別れはなくもがな】

「古今集」の「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため」(巻十七雑上 九〇一 在原業平)の第二句第三句の文句を助詞を変えて引用する。

【となん】

『集成』『完訳』は共に諸本に従って「など」の語句を補う。

【げによに思へば】

語り手と尼君の子供たちの心理が一体化した表現である。

【心あてにそれかとぞ見るしら露の光そへたる夕顔の花】

女の贈歌。『異本紫明抄』は「心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑はせる白菊の花」(古今集秋下 二七七 凡河内躬恒)を指摘する。「白露の光添へたる」という言葉から、光源氏を暗示する。

【この西なる家には】

以下「問ひ聞きたりや」まで、源氏の詞。

【例のうるさき御心】

「例の」とあることによって、源氏と惟光の親密な関係や普段の源氏の行動が過去に遡って想像される表現である。

【この五六日ここに】

以下「え聞きはべらず」まで、惟光の返答。

【憎しとこそ】

以下「召して問へ」まで、源氏の詞。

【この宿守なる男】

乳母の家の管理人。

【揚名介なる人の】

以下「にやあらむ」まで、惟光の返答。「揚名介」は名前だけで実務や俸給も伴わない地方官の次官で、名誉職。裕福な者がお金を収めてその名をもらった。

【さらばその】

以下「際にやあらむ」まで、源氏の心に添った叙述。

【宮仕人ななり】

「なる」(断定の助動詞)「なり」(伝聞推定の助動詞)。宮仕え人であるらしいの意。

【例の】

以下「御心なめるかし」まで、語り手の源氏の性格に対する批評を交えた表現。『岷江入楚』所引の三光院実枝説は「作者の評なり」と指摘する。『評釈』は「君がこう思って、それでやめてしまったら、物語にならない。「例の、このかたに」と、ことわって、作者は君に返歌さすのである」と注す。

【寄りてこそそれとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔】

源氏の返歌。自分を夕顔の花に喩える。相手にもっと近づいてはっきりわたしをみたらどうですか、という挑み返した歌。

【まだ見ぬ御さまなりけれどいとしるく思ひあてられ給へる御側目を見過ぐさで】

夕顔の宿の女方は、まだ見たこともない源氏の姿であっが、実にはっきりと、その人と推察して歌を詠みかけてきた、というふうに語り手は叙述する。

【言ひしろふべかめれど】

「めり」(推量の助動詞)は御随身。

【半蔀は下ろしてけり】

前に「半蔀四五間ばかり上げわたして」とあった夕顔の宿の半蔀。

【蛍よりけにほのかに】

『河海抄』は「夕されば蛍よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき」(古今集恋二 五六二 紀友則)を指摘する。

【御心ざしの所】

冒頭の「六条わたりの御忍びありき」の女性。

【朝明の姿】

『河海抄』は「わがせこが朝明の姿よく見ずて今日の間を恋ひ暮らすかも」(万葉集巻十二二八五二)を指摘する。歌語。

【今日もこの蔀の前渡りしたまふ】

「この蔀」は夕顔の宿の半蔀。その前を素通りする。

【ただはかなき一ふし】

夕顔の宿の女が扇に和歌を書き付けて寄こしたことをさす。

【いかなる人の住み処ならむ】

源氏の心。

渋谷栄一校訂(C)

GENJI-MONOGATARI

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